思考のクセって、人それぞれ違うもの。
頭では分かっていても、家族のことや心の負荷が重なってくると、ふとした瞬間に感情の揺れが大きくなることがあります。
最近の私は、家族の問題で葛藤したり、気持ちが追いつかなかったりで、涙が止まらなくなることが増えていました。そんな時、旦那から放たれた一言が・・・
「自分に酔ってるよね」
胸にグサッと刺さって、正直ショックだった。
悲しかったし、理解されていない感じもあった。でも時間を置いて振り返ってみたら……心のどこかで、確かに“悲劇のヒロイン”みたいな気持ちもあったのかもしれない。
問題の本質を見ようとせず、“つらい私”を守るように感情で考えていた部分もあった気がする。
そこで今回は、哲学的な視点や人間心理学を少し取り入れて、「私の気持ちはいまどういう状態なのか?」を可視化してみることにしました。
◆ 自分に酔う心理って、実は誰にでもあるもの
「自分に酔ってる」と言われると、どうしてもネガティブなイメージが先に立つけれど、心理学ではこれは珍しい話ではありません。
心が追いつかない時、人は“物語化”して自分を守るという防衛反応を取ります。
- 「私はこんなにつらい」という物語をつくることで、傷を大きく見積もって正当化する
- 混乱や恐怖を整理できず、ストーリーにして落ち着かせようとする
- 苦しい状況を「意味あるもの」にしようとする
こうした反応は、心が限界に近い時ほど強くなります。
だから、私が“酔っていた”のは弱さというより、心のSOSが出ていた証拠でもあるんだと感じました。
◆ 哲学的に見る「矛盾してしまう自分」
哲学では、人間はそもそも矛盾した存在だとされます。
感情と理性は常にズレていて、どちらかが優勢になると、もう片方が追いつけない。
特にアラフォーになって人生経験が増えるほど、感情が複雑になり、過去の記憶や今の不安が混ざり合って、判断を曇らせることがあります。
ソクラテスは「無知を知る」が大切と言ったけれど、私たちに当てはめるなら・・・
「矛盾する自分が存在することを認める」
これこそが最初の一歩なのかもしれません。
矛盾を否定すると苦しさは倍増する。でも「そういう時期もあるよね」と一度受け止めると、意外と心が軽くなる。
◆ 気持ちが揺れるときの“内なる声”を整理してみる
少し冷静になったとき、私は自分の内側からこんな声が出ていることに気づきました。
- 「誰かに理解してほしい」
- 「本当はしんどいと言いたい」
- 「強がり続けたくない」
- 「私は間違ってるの?」
これって全部、人間として普通の気持ちなんですよね。どれも悪いものじゃないし、生きていたら出てきて当然。
ただ、その気持ちが強くなりすぎると、自分の感情だけが前に出て、周りが見えなくなる時がある。私もその状態に近かったのかもしれない。
だからと言って「弱い自分が悪い」と責める必要はない。むしろ、ここからどう軌道修正していくかが大切なんだと思っています。
◆ 自分を責めない「哲学的セルフケア」
哲学には、心が揺れたときに役立つ考え方がいくつかあります。その中でも、今の私にしっくりきたものをまとめてみました。
◆ 自分を責めない「哲学的セルフケア」
1. 自分を観察者として見る
ストア哲学では「自分の心をそのまま自分とは同一視しない」という考え方があります。これは、苦しい感情に飲み込まれそうな時ほど役に立つ視点です。
私たちは、怒りや悲しみ、焦りを感じるとつい “その感情=自分” と考えてしまいがちです。でも、観察者になるというのは、感情と自分を切り離してみること。
「私はいま何を感じている?」
この問いかけは、自分の内側に巻き込まれないための小さな一歩。感情の渦の中心から半歩だけ後ろに下がるイメージです。
たとえば涙が止まらない時、怒りで胸がざわつく時、観察者の位置に立つと、こう見えてきます。
- 身体が疲れているから涙が出やすいのかもしれない
- 不安が大きくて、心が安全を求めているだけかもしれない
- 状況が追い込まれていて、思考の余白がなくなっているのかもしれない
「自分を責める」から「自分を理解する」へ。 この切り替えができると、心のアップダウンに振り回されにくくなります。
2. 感情は“事実”ではない(認知心理学)
認知心理学における大前提に、「感情は事実ではない」というものがあります。感情は天気のようなもので、晴れの日もあれば雨の日もある。ただそれだけ。
でも私たちは、つい感情を「真実」だと思い込んでしまうことがあります。
たとえば、
- 孤独に感じる → 「私はひとりぼっちだ」と思う
- 怒りを感じる → 「相手が私を傷つけたに違いない」と決めつける
- 悲しい → 「もう何もうまくいかない」と未来まで否定する
しかし実際には、感情はただの反応です。 体調、ホルモンバランス、疲労、ストレス、人間関係、睡眠不足ーーこれらが複雑に影響して気持ちは簡単に揺れ動きます。
つまり、
「そう感じている」ことは事実でも、「それが真実か」は別問題。
もし感情の波が大きいときは、「これは一時的な感情の反応」と意識的にラベリングしてあげるだけで、心の負荷がぐっと減ります。
感情は強いけれど、絶対ではない。 この視点を持つだけで、過剰に落ち込んだり、自分を責めたりする時間が短くなるのです。
3. 他人の言葉は“相手の視点”にすぎない
旦那さんの「自分に酔ってる」という言葉。正直なところ、心に深く刺さる言葉ですよね。状況を分かってほしい時ほど、否定に聞こえてしまう。
でも、哲学やコミュニケーション心理学的に解釈すると、他人の言葉とは、
「その人の立場・経験・心の状態から見えている世界の断片」
にすぎません。
たとえば旦那さんには旦那さんの不安や疲れがあるかもしれないし、感情の扱いが得意じゃないかもしれない。 あなたが涙している姿を見て、心配がうまく言葉にできず、つい違う表現として出てしまった可能性もある。
つまり、
相手の言葉=私の真実 ではない。
他人の価値観をそのまま自分の中に入れこんでしまうと、必要以上に傷つき、自分の軸を見失います。
私たちはつい、人の言葉を“評価”として受け取ってしまうけれど、実際には
- 相手の視点
- 相手の立場
- 相手の感情
- 相手のストレス
これらの影響を強く受けています。
だから、旦那さんの言葉に心が揺れたのは自然なこと。 でもその言葉を「自分の価値そのもの」だとは思わなくていいのです。

4. 人は誰でも矛盾する
哲学の世界では、人間とはそもそも矛盾を抱えて生きる存在だと考えられています。
「強くなりたい」と思うのに「弱さを見せたくない」
「前に進みたい」のに「現状維持にしがみついてしまう」
「家族を大切にしたい」のに「怒りが湧いてしまう」
こうした揺れは“未熟さ”ではなく、むしろ人間らしさそのもの。
私たちの心は、感情・理性・価値観・本能・社会的な役割など、様々な要素でできています。そのすべてが常に一致することなんてありません。
だから、矛盾する思いを抱えたからといって、自分を責める必要はないのです。
矛盾は、生きている証拠。 そして、揺れながら自分の軸を探している途中の状態でもあると思います。
哲学者のニーチェは「人は揺れ動くほど成長の幅が広がる」と語っています。
揺れは悪ではなく、方向性を探すための“心の振れ幅”。
だからこそ、
矛盾する自分を否定するのではなく、まずは「そういう時期なんだね」と受け入れること。
その瞬間から、心はゆっくり整い始めます。
◆ 最後に:揺れてもいい。泣いてもいい。立ち止まっていい。
家族のこと、仕事のこと、抱えている不安……そのすべてから逃げずに向き合おうとしていたからこそ、私は疲れていたんだと思います。
「酔ってる」と言われた自分を責めるより、
「そこまで頑張っていたんだね」
と自分に声をかけたい。そう思うことにしました。
弱ることは悪いことじゃないし、涙が出るのも自然な反応。矛盾する気持ちがあって当たり前。
ただ、少しだけ立ち止まって、自分を観察してみる。それだけで心はゆっくり変わっていくはず。
今日のこの記事が、同じように悩む誰かにとっても、そっと寄り添える内容になっていたら嬉しいです。


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