「何のために生きているのかわからない」──そんな問いを、一度は胸に抱いたことがある人も多いのではないでしょうか。
仕事や家庭、SNSの人間関係、情報の洪水に疲れ、ふと立ち止まったとき、私たちは「生きるとは何か」という問いに向き合います。
この問いは、人類が古代から抱き続けてきたテーマ。
古代ギリシャの哲学者も、現代の思想家も、形を変えながらこの問題に挑み続けています。
今回は、時代を超えて語り継がれてきた「生きるとは何か」というテーマを、哲学の視点から紐解いてみたいと思います。

1. 古代ギリシャ哲学における「生きる」──ソクラテスの問い
古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、「よく生きること」と「正しく生きること」を同義と考えました。彼の有名な言葉に「吟味されざる人生は、生きるに値しない(The unexamined life is not worth living)」というものがあります。
つまり、ただ生きるのではなく、自分の行動や考えを省みながら生きることこそが、人間らしい生き方だというのです。
ソクラテスにとって「生きる」とは、生存ではなく「自らを問い続ける行為」でした。
この考え方は、現代社会にも通じます。
情報や価値観があふれる中で、自分の基準を持たずに流される生き方は、まさに「吟味されていない人生」。ソクラテスの言葉は、今もなお私たちに鋭く突きつけられる問いです。
2. 「幸福」と「徳」──アリストテレスの目的論的な生
アリストテレスは、人間の生を「目的をもって行動する存在」と捉えました。彼は『ニコマコス倫理学』の中で、「人間の最高善は幸福(エウダイモニア)である」と述べています。
しかし彼の言う「幸福」とは、快楽的な満足ではなく「徳(アレテー)」をもって生きること。
つまり、怠けず、節度を守り、自分の能力を発揮しながら他者と調和して生きることです。
現代では「効率」や「成果」が重視されがちですが、アリストテレス的な視点に立てば「徳を積むこと=人として成熟すること」こそが真の幸福への道。
短期的な成功や他者との比較ではなく、長期的な人格の成長に目を向ける生き方が求められているのかもしれません。
3. 苦しみと生の意味──ニーチェの「生の肯定」
19世紀の哲学者ニーチェは、「神は死んだ」という言葉で知られていますが、彼の思想の本質は「生の肯定」にあります。ニーチェは、人間の生には苦しみや不条理がつきものだと認めたうえで、それでもなお力強く生きる意志を肯定しました。
彼の考える「超人(Übermensch)」とは、社会の価値観や善悪を鵜呑みにせず、自分の価値を創り出す存在です。つまり「生きるとは、自らの意味を生み出すこと」。
現代社会では、他人の評価やSNSの「いいね」に自分の価値を委ねがちですが、ニーチェはそんな外部依存を乗り越え、自らの「なぜ生きるか」を定義せよと促しています。
苦しみを避けるのではなく、それを糧にして人生を肯定する姿勢こそ、現代人に必要な強さかもしれません。
4. 存在と不安──サルトルと現代の「自由の重さ」
20世紀の実存主義哲学者ジャン=ポール・サルトルは、「人間は自由という刑に処せられている」と述べました。彼によれば、人間は生まれた瞬間から何者でもなく、行動を通して「自分を創っていく」存在です。
これは一見、自由で魅力的に聞こえますが、同時に「自分の人生の責任はすべて自分にある」という重さをも意味します。
誰かが答えをくれるわけでも、正解があるわけでもない。
私たちは自分の選択によって、日々「自分を定義している」のです。
現代人が抱える「生きづらさ」は、自由の拡大とともに「責任の拡大」を伴っているからこそ、より深刻になっているのかもしれません。
5. 「つながり」と「意味」──現代哲学の視点から
近年の哲学や心理学では、「生きる意味」は孤立した個人の内面だけでなく、「他者とのつながり」や「社会的貢献」の中で見出されると考えられるようになっています。
アメリカの心理学者ヴィクトール・フランクルは、ナチスの強制収容所を生き延びた経験をもとに、『夜と霧』の中で「人は意味を見いだせる限り、生きることに耐えられる」と書きました。彼の「ロゴセラピー(意味療法)」は、現代でも多くの人々の心を支えています。
つまり、「何のために生きるのかわからない」という迷いは、「まだ自分の意味を見つけられていない」状態。
意味は与えられるものではなく、自分が他者や社会との関わりの中で「見いだしていくもの」なのです。
6. 生きるとは「つづける」こと
哲学というと、難しい理屈や論理の世界を想像するかもしれません。
しかし、最終的に哲学が向き合うのは、私たち一人ひとりの「日常」です。
朝起きて、ご飯を食べ、働き、誰かと会話し、眠りにつく──その繰り返しの中にこそ、「生きる」とは何かの答えが隠れています。
どんなに偉大な思想家も、特別な舞台で人生を語ったわけではありません。
ソクラテスはアテネの街角で対話を重ね、フランクルは収容所という極限状況の中でも、ただ「次の日を生きる」という行為を続けました。
つまり、生きるとは壮大なことではなく、「今日をつづける」ことにほかなりません。
私たちはしばしば、意味や目的を求めすぎて、立ち止まってしまいます。
けれども、意味が見つからない日があっても、呼吸し、ご飯を食べ、眠ることをやめない。
それがすでに「生きている」ということ。哲学者ハンナ・アーレントが述べたように、人間の価値は「思考する存在(ホモ・サピエンス)」であると同時に、「活動し、働く存在(ホモ・ファーベル)」でもあるのです。
つまり、「生きるとは考え、動き、また考えることのくり返し」。
何かをやめてしまったとき、私たちは「生」を感じにくくなりますが、どんなに小さなことでも続けているうちは、確かに生きている。その営みこそが、私たちの存在そのものを支えています。
続けるとは、耐えることではありません。
むしろ「今の自分を許しながら生きる」ことです。
うまくいかない日も、誰かに傷つけられた日も、自分を責めずに「それでも一歩だけ前に出る」こと。
それが本当の意味での「つづける」なのだと思います。
たとえば、仕事に行く気がしない朝でも、コーヒーを淹れて、外の光を浴びる。それだけでも、「生きる」をつづけるための大きな一歩です。
あるいは、誰かの言葉に救われて、少し笑えるようになった──それもまた「つづけている」証拠。
哲学は、苦しみを否定しません。むしろ、苦しみの中にも意味を見出そうとする学問です。
ニーチェが言ったように、「生きることには苦しみがある。だが、苦しむことには意味がある」。
その意味を探すために、私たちは「続ける」という行為を選ぶのです。
完璧である必要も、強くある必要もありません。
続けることでしか見えない風景があり、続けることでしかたどり着けない境地があります。
人生とは「結果」ではなく、「過程」そのもの。続けるという行為が、私たちの存在を静かに照らしています。
生きるとは、今日も呼吸し、心を動かし、考えつづけること。
そして明日もまた、小さな勇気をもって、同じように生きること。 それだけで十分に、「生きている」と言えるのです。

まとめ──「生きる」とは、問い続けること
哲学は「答えを出す学問」ではなく、「問いを持ち続ける学問」です。
ソクラテスが始めた「なぜ?」という問いは、時代を超えて今も続いています。生きる意味をすぐに見つけられなくても構いません。むしろ、その問いと共に生きることこそが、哲学的であり、人間的な生き方なのです。
今日という一日を、少しでも丁寧に、意識的に生きてみる。 それだけで、「生きるとは何か」という永遠の問いに、小さな答えを返しているのかもしれません。
──生きるとは、「問いながら、つづけること」。
余談:ぜひみて欲しいアニメ紹介「チ。」
「生きるとは何か」というテーマに強く共鳴するアニメとして、私がぜひおすすめしたいのが『チ。―地球の運動について―』(原作:魚豊)です。
この作品は、16世紀架空のP王国(ヨーロッパあたり?)宗教裁判の時代を舞台に、「真実を追い求めることの意味」を描いた異色の哲学アニメです。
物語は、「地球が太陽の周りを回っている」という“禁断の思想”を巡って展開します。
当時、それは命を落とすほどの危険な異端思想でした。
主人公は、学問と信仰のはざまで揺れながらも、「知りたい」「真実を知って生きたい」という人間の根源的な欲求に突き動かされていきます。
『チ。』のすごさは、単なる歴史ドラマでも、サスペンスでもないところにあります。
描かれているのは「思想を守るために命を賭ける人々」の姿であり、同時に「生きることとは何か」を真正面から問う哲学そのものです。 信念を貫くことは、社会からの排除を意味するかもしれません。
けれども、真実を追い求めることをやめたとき、人間は“生きている”とは言えなくなる──そんなメッセージが作品全体を貫いています。
この作品に登場する人物たちは、必ずしも英雄ではありません。
迷い、恐れ、裏切り、そしてまた立ち上がる。人間らしい弱さと強さが、静かに丁寧に描かれています。
ときには残酷で、胸が締めつけられるような展開もありますが、それでも「知ること」「考えること」「問い続けること」をやめない登場人物たちは、私たち自身の姿に重なります。
「生きるとは何か」を探している人にとって、『チ。』はまさに“哲学の入門書”のようなアニメです。
ソクラテスが「吟味されざる人生は生きるに値しない」と語ったように、登場人物たちもまた、与えられた価値観に疑問を投げかけ、自分自身の信念を見出そうとします。
この物語は、ただの知識や理屈ではなく、「問いながらも生きる」という行為そのものの尊さを描いています。苦しみながらも、恐れながらも、それでも歩みを止めない姿勢──それこそが“生きる”という行為の本質ではないでしょうか。
アニメ『チ。』を観終えたあと、きっと心のどこかで静かに残る問いがあります。
「自分は、何を信じて生きるのか?」 その問いと向き合う時間こそが、哲学的であり、人間的であり、そして“生きている”証なのだと思います。
※私は今年、ネットフリックスで見たのですが・・・間違いなく「今年1番見てよかったアニメ作品」でした(涙)
主題歌で大ヒットしたサカナクションの「怪獣」が、また作品とリンクしてすごい感動を生み出してくれました。。
個人的に好きなシリーズは、オクジー&バデーニ回。涙なしでは見られませんでした。やっぱりラファウも大好き!
声優さん達も非常に豪華です。ツダケンさんがいい仕事をしてまs…
↓画像はイメージです!



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